北国脇往還ウォークNo3

今回は前回終点の春照宿(米原市)から関ヶ原(岐阜)までの15㎞の行程です、最終回で北国脇往還は越前国(福井県)から中山道関ヶ原へ抜ける近道として参勤交代の大名や多くの旅人が通った道を往時を偲ぶ史跡の残る趣のある街道です
近江長岡駅・・大阪セメント引き込み線跡・・伊吹山民俗資料館・・晴照宿常夜灯・・「野頭」芭蕉句碑・・寺林集会所・・藤川宿本陣(林家)・・関ヶ原合戦戦地跡・・関ヶ原駅

北国脇往還ウォークNo3
大阪セメント引き込み線跡は昭和27年から平成11年までセメント専用鉄道が開通していたが、伊吹線路道として地域の発展の歴史を次世代に受け継ぐ為に住民参加型の廃線敷き道路として利用している、
北国脇往還ウォークNo3

春照村には北国脇往還の春照宿が置かれていた。宿場の町並みは約700mであった。前の宿は藤川宿で次ぎ宿は伊部宿であった。春照宿には本陣・問屋・旅籠・商家が軒を連ねていた。(参考文)
北国脇往還ウォークNo3

野頭は北国脇往還に残った唯一の史跡で松尾寺観音堂茶所の跡である、北国街道ともいわれたこの道は、若狭と美濃を結ぶ古代からの要所で、後に藤川・春照の宿も置かれた、戦乱と悲哀まさに
日本史の間道として千年の歳月であった、
松尾芭蕉がこの地で詠んだという「頭巾召せ寒むや伊吹の山おろし」 (掲示板参照)
北国脇往還ウォークNo3


藤川宿本陣は現在は林家住居であるため道からの見学となる、
北国脇往還ウォークNo3
北国脇往還ウォークNo3

案内板によると「 慶長5年9月15日、霧が薄くなり視界も広がった午前8時。先鋒の福島正則は井伊隊の旗の動くのを見て、先陣の手柄を取られてなるものかと、宇喜多隊に一斉射撃を浴びせました。一方井伊隊も福島隊におくれまいと、島津隊の陣に向かって攻撃を開始し、合戦の火蓋が切って落とされたところです
北国脇往還ウォークNo3










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